2012年7月12日木曜日

女の子の見せパンについて

まず見せパンって?って話ですが 
Wikipedia - 見せパン
 でも言われてる通り、見せてもいい下着のことを言います

数多くの男が(代表意見とは思って欲しくないけれど)そうであるように、パンチラに遭遇したらテンション上がるし、 ラッキー!
けどそれは同時に女の子を不快な気持ちにもしてる可能性がある。それは良くないことですよ

そこでこの見せパンは、女の子側が「見たければ見れば?」的スタンスで装着することで男も「よっしゃー拝見します!」ってすごい平和。両者win-winで画期的な素晴らしいアイテムやよね!


しかし本当にそうなのでしょうか
まず、見せパンが他の下着とどう違うのかについて考えるところから始めます

見せパンは調べてみると、見せてもいいかわいいかっこいいデザインのものが多いらしい。けど、おそらくやけど、普通は見せパンでない下着も自分なりにかわいいかっこいいのを買うと思う。
いや、違うよ、あくまでも質にこだわってデザイン度外視、すげーダサいのしか持ってないよって人もいるでしょうが

「かわいいかっこいいデザイン」が見せパンの本質なら「かっこいいかわいい見せパンでない下着」を買っている人たちは、かっこいいかわいい下着ならそれを見られても堂々としていればいいじゃない!となってもおかしくない(多少乱暴だけれど)。それでも普段のパンツは見られちゃイヤで見せパンはいい、つまり見せパンが見せパンたるのはデザインではないということです。
つまりそこを分ける基準は全部身に着ける本人次第だということですね

そうなってくるとこの見せパン、相当あやふやな存在ですよ。出かけに見せパンをはいてきたつもりの女の子がお昼過ぎたあたりに見せパンでないことに気付いて急に恥ずかしくなる、なんてこともありうる。やっぱり普通のパンツ見えてたら恥ずかしいじゃないですか

そう、この恥ずかしさというのが一番キーになると考えます。イヤなのは恥ずかしいから。見せパンだとセーフなのは恥ずかしくないから。こういうことです。
先ほど、パンチラに出会えて嬉しい男の気持ちとパンツ見られて全然気にしない女の子の気持ちってのはwin-winの関係だといいましたが、この「恥ずかしさ」っていう感情を無視していませんか

例えば水着がほとんど下着と変わらないのにあまり恥ずかしくないのは、海や川やプールというロケーションでそれを身に付けることが一般化しているからだと思います。その「恥ずかしくなさ」は習慣のなかで身に付いた感覚でしょう。しかし新参の見せパンは歴史が浅いためまだそれほどの市民権を得ていない中途半端な状態

このように大事な恥ずかしさという感情を無視してるせいで、どちらも得する関係のパワーバランスを崩しているのではないかと思う
風でひるがえるスカート、パンツを見れたドキドキの中にはきっと最初から「恥ずかしい」という感情が含まれている。だからドキドキする。なのに見せパンはそのドキドキを後出しで強引に排除する。そして残るモヤモヤ

見せパンと知らなければ永遠に幸せです。しかし知ってしまった瞬間に萎えてしまうということ。それもすっごく!でなはく実に中途半端に。なぜなら心の中で整理がつかないから。ガッカリしたくてもしきれないこの感じは心をすごくきゅうっとさせる
見せパンを心から肯定できないのはこういうことなのです!

しかしそれは女の子が不快で(恥ずかしいと感じ)ないと俺が愉快になれない、遠まわしにそう言ってるのと同じことなんですね
すごくスケベで最低だと思います。このブログ書いてるうちに、整理し切れなかったモヤモヤがそこに行き着いてしまって割とヘコみました

見せパンが男のために作られた要素を少しでも持ってるなら、せめて男側に許可とってから作りはじめて欲しかった。急にそんな風に言われても心の準備が出来てないんやもん


「今のは見せパンだったのよ!」「なーんだ、 なら問題ないね!」

 こんな風になれるには、もっと修行しなきゃいけない。人生の。